{神道こそが本物} 【体験 新興宗教の実態と弊害】 Yさんの苦い体験のおはなし 今回、Yさんの貴重な信仰経歴と神道に至るまでのお話しをまとめました。 先ずはじめに神道の素晴しさを知って戴くまえに、他の教えの問題点を探りより 良き人生のこころの基盤である信仰を見つめたいと思います。 全世界の人々はすぐにでも皆既成宗教を捨て日本の古よりの神の教えである「神 道」に教えを乞うべきである。 それは大自然新羅万象の理に則した生き方であり自然環境や人間の営みに無理の ない共栄の在り方を明らかにしています。 太古の昔、わが大和民族の先祖は自然を尊び人を大切にし倫理道徳と秩序の 概念を形成し技と共に歴史を築いてきました。 特筆すべきは指導者(神)に恵まれ、草創のころに集団社会をつくり民主的営み を築き、安定な日々の中で信仰が築かれていったことです。 素直、正直、誠実、控えめ、他愛、勤勉、など日本人の代表的な形容ですが、こ のDNAは太古から受継がれてきた宝そのものなのです。 しかし、現代の拝金主義の社会において「素直、正直、誠実・・・」など欠けて いることばかりです。金の無い者は「社会の脱落者」などと平気でうそぶくので す。我々は刹那的な結果主義の社会に翻弄されて、本来個人個人の力量と特性や 役割が許容され安心して人生を送れる社会を失っているのです。 平成生まれの人達は「そんないい時代過去に在りましたか?」と言う。 私は昭和生まれですが其のことばには一面同調する。 なぜなら戦後、此の國のよき時代と言えるのは昭和30年後半から50年代まで でしょう。この時代は今よりも物、質にまだまだ乏しく平均労働賃金が低かった。 が、しかし人々には勇気と希望と助け合う精神に満ちあふれ、質素な生活ながら 笑い声が響きあっていた。国全体が向上に勤しんでいた。 わたしは此の時代までは「神」は人々とともにあったと思います。 此の時代以降、新興宗教も花盛りとなっていくのですが、それに反比例するかの ように神道は家庭から忘れ去られていき、神社神道は形骸化し単なる人生儀礼や 年に二度や三度の縁起担ぎの場になってしまいました。 上野・浅草など行きましても、ついむかし神具専門店が数十軒あったものが今で は二、三軒しかありません。 店の主人曰く「いまどき神さまに手を合わせる人なんかいないって」と嘆きなが ら言い切る。神道の経典とも言うべき「祝詞集」などは古本屋で買うのが当たり 前にまでなってしまった。 一方、仏教系、キリスト教系、占い系等、新興宗教は最盛期なのです。 オウム教団の事があってか多少下火になったとは言え、イカガワシイ教団は依然 としてはびこっております。 特に仏教系と占い系は花ざかり、会員信者獲得に余念がありません。宗教団体に も深浅の差もあり、蒔いた種がようやく実った団体、時代に便乗して即席仕上が りの団体等さまざまです。 教義内容についてみますと、既成宗教から引用したものから宇宙天体または宇宙 人が登場するものまであり、後者の場合などは誰一人として検証不可能なのです。 ほかのものとて、そのような要素を含んでおり、仏教系の場合は教義が出来上が っているため、切り口によっていかようにも解釈発展させることが可能でありま す。で、あるからして、仏教の一面部分に固執したものが多く、それは広義を扱 うより狭義のほうが、教主の小さな教養と知識とカリスマ性だけで運営しやすい からである。 また、儒教や占術など占い系のものはいくらでも市販書物があり、入門書を熟 読した程度の知識でも、自信過剰と新考察があるなら、その道の専門家と十分に 渡りあえるものなのです。これらのものは、生き方の改善、考え方の改善と称し て修行法なるものと合体させる事に依って会員信者の裏付け暗示効果と充実心を 達成させている。 それは、これらの分野に哲理、事実というものがなくても存在出来るのです。 これら団体は宗教の名を借りて誕生した営利第一主義の信仰事業であり、社長で ある教主は配下に崇めさせる仕組みを創り上げ、以下会員信者は洗脳され善悪の 判断すら分らずに教団運営に加担し仲間を増やしていく。中には新規会員獲得に 点数制まであり実績に応じて格付けがなされ、金品を貰う仕組みまである。下層 の盲目な会員信者は、かつては心に悩みを抱えてか、また自己啓発のためか、入 信の理由は後から肯定しうるもので、後に悪の巣窟の一員として社会を蝕んでい くのである。 これらはネズミ講とまったく違わない仕組みで教団は運営されているのである。 憲法には「信教の自由」があり保障されている。問題なのは倫理感だけではなく、 宗教法人ともなれば税の優遇がなされている為、国民全体が負担を強いられるこ となのです。 どこの教団もメディアをフルに使って宣伝し、○○経、○○行法、○○修法、○ ○秘法など、中には○○療法まで登場。訳の判らないキャッチフレーズで魔の手 を広げ獲物に接近し、脅迫恐怖観念を植え付け、さらに教団のマニュアルに従っ た催眠話法まで駆使して入会させてしまうという手口が公に横行している。 宗教団体はあの手この手で人の弱い部分にもぐりこみ洗脳し服従させ判断能力を 削ぎ取り、貴重な人生という道場の場(時間)を奪うだけでなく、自己犠牲と永続的 に金品を搾取されていくシステムの中で、奉仕を強要されるのです。 真にその人の将来を安じ幸福な人生を保障するなどということはありません。 何処の教団でもきまり文句は「嫌なら止めてもいいです。せっかく良い兆しが見 えてきているのに、今までの徳積みが無駄になるばかりか、救いのない丸裸にな るのですよ、、、」と。 中には「止めたら、今まであなたを常日頃お守りしてきた○○様の借金が残るの ですよ。後のことは保障出来ません」などと脅迫さながらです。 一時の気の迷いで脱会を宣言してみたところで、勇気と決断が必要であり、洗脳 という呪縛から解かれるには葛藤に努力と多大な時間が要するものです。 仮にカルト教団で十年信仰した場合、洗脳から開放されるには、やはり十年ほど かかります。時計の逆回しが必要なのです。 余談ですが、アイススケートの選手が氷上で、右に20回の回転をしたなら左に 20回の回転を行わないと身体的感覚が正常に戻らないと聞いています。 心の面に於いても同じ事が言えるのかもしれません。 しかし、自己を磨くはずの人生という道場をカルト教団などに預けてよいもので しょうか。過ぎた時間はもどりません。 「やる以上は、大幹部になって裕福な生活を勝ち取る」なんて、考えの人も無き に在らずですが、、、、。不健全極まりない事です。 此処まで書く以上は、わたしの体験談も書かなければ信憑性が伝わりません。 わたしが神道に出会うかなり以前(40年以上まえ)の話ですが。 或るカルト教団(真言宗系仏教)のO氏の度重なる勧誘(おたすけ)に依り家族入 信というかたちで家族6人全員が教団の会員信者になりました。 おそらく私が15歳位の時だったと記憶しております。 家は借家で敷地内に小さな工場を設けて、親子で営んでおりました。度々来る機 械刃物のブローカーが、そのO氏でした。 もともと父も母も信仰というものに対して違和感は無かったと思われます。特に 母は温厚生真面目な子供思い、家族思いの立派な女性でした。 当初は父母もO氏の勧めに一言返事で乗れなかったようです、お金の問題があっ たからなのです。 借金して始めた生業もさほど収入があった訳でもなく、日々の生活がやっと、と いうのが実情でした。 O氏が入信している団体は戦時中に結成された真言宗系の新興宗教で都内に木造 の大きな建物を有し、後には同敷地内に白亜の精舎が建つまでになりますが。 当時教団の信者数はまだ少なく莫大な借り入れと浄財集めに信者達は奔走してい たことは、のちに知りました。 O氏の勧誘の仕方、入信後の教解の仕方はいつも同じで、高飛車戦法でした。 「信仰は金が掛かるものだ。また掛けまいと思えば全く掛からない。しかし、そ の差は結果として大きい。御布施は心だ。この教えは因縁切りだ。」と言う。 この教団の入信誓約書には「入信形態」が書かれているのですが、うちの場合は 家族入信でした。家族入信といっても納める年会費は一人ひとり納めるかたちで すので、6人いれば6人分納める事になります。 また年会費とは別に「月毎の布施」の誓約を強要されます。それは四段階の種類 (ランク)に別けられ、呼称は大乗、歓喜、大歓喜、特別大歓喜とあり、納める 額も段々と高額になっていきます。信者間では胸に着けているバッジの種類で誓 約が一目瞭然で、高額誓約のバッジなど着けているものなどは、人に対してわざ とらしい寛大さや異常な丁寧さなどを露わにして優越感にいやらしい笑みを浮か べている。まさに差別とステータスの世界に身を置くのです。毎月納めるもので すから、納められる人はよしとして、そうでないものは歯がゆい思いです。 教団側の言うには「納める種類によって、御仏から流れる御加護の力が違う」と 言うのである。 それでは入信したてで、最下位の「大乗」では「救いの力」が小さいと言うので しょうか。 話しはまだまだ序の口です。 入信すると自動的に導き親(勧誘した人)の所属グループに属し、そこでは筋親とい う方が、毎月一度その家で集会が開かれ、読経のあとに長々と実践目標と事務局 からの通達等が話し合われます。 一、教書および刊行書の熟読 一、奉仕の徹底(早朝奉仕、日常奉仕、大祭日そのた霊祭日の奉仕、路上での一般 信者の誘導奉仕等々) 一、歓喜の実践(事務局から筋親に「歓喜袋」というものが割り当てられて来る: 一口 千円以上) 一、御典供(春と秋の先祖の施餓鬼供養のもので、白い冊子に先祖の名前を書い てお金をおさめる:信者一人につき10名ほどの先祖名を書くが、極端に少 ないと筋親が必要性を訴える:記名一名につき500円) 一、星供養(年に一度、その人の誕生日を供養する:一口 500円) 一、霊供(毎月精舎内に奉られている諸仏の日があり、例えば不動明王は毎月2 8日、その日に捧げられるお金:一口 500円。但し、他にも多くの仏像 があり、日は違えども同じく一口 500円。 一、おたすけの実践(これこそが集会の意義と要に他ならない。「新規会員信者」 を獲得すること。教団の収入、発展と衰退に直接つながる事なのです。新会 員信者が始めて「おたすけ」に成功すると導き親は褒めちぎり、筋親は導き 親を高く買い、筋親はグループでのカリスマ性を高め君臨する。孫や曾孫が 多いほど教団内での知名度と発言力が持てる事につながるのである。) 一、年に何度かの大祭に合わせての特別授与品の頒布。(小型の仏像の頒布ですが、 数に限りがあるため申し込み後、抽選。中には金製品など高額のものも。実 際の金の市価の5倍以上の価格で頒布。) 一、年に一度行われる「斉燈護摩」の申し込み:一口 1.000円。 ざっと此処まで集会での話し合われる概要を記しましたが、皆さんはきっと 「もう、ウンザリだ」と言わんばかりに怒りさえ感じたのではないでしょうか。 『いったい年間いくら金を納めているのだろうか。』 一般信者は納める金を捻出するこが、ややもすると御仏に仕える事だと、教主の あとにつづくことだと、冷静な判断が出来なくなっていくのです。 これらの事柄については何処の宗教団体でもやってる事ばかり。でなければ精舎 など立つわけないし、維持管理も不可能でしょう。 ただ、信心というものが、悪しかれ、ここまで我慢強くなるのかと感服させら れます。 ひとの事は言えません。私とてこの教団で25年活動しましたから。 しかし、新興宗教は新手です。このくらいで驚いていてはあなたがたも被害の的 になりかねません。 これから書く事が真の闇の部分です。 それは、だれしもが興味を抱く『霊能』と言う、検証困難な世界です。 霊能にも、物質的霊能と精神的霊能とがあります。物質的霊能現象は時として突 発的に起こることがよく知られておりますが、それだけに研究対象として難しく、 確かな資料も少ないのが現状です。 一方、精神的な霊能現象はあくまでも主観的なもので「霊感、霊視、霊耳」など は代表的なもので、本人が言い切っても検証困難であり当然確証がありません。 しかし、誘導の仕方によっては真実になってしまうのです。 ここに、カルト教団の『ダメ押し』としての利用価値があるのです。 前もって言明する事は、霊能についてすべてを『否定しない』ということです。 ここでは仏教系霊能を例としてとりあげておりますが、神道に於いては明らかに 『神霊』の存在があるからです。 その事実については別の項で詳しく記載致します。 【接心修行】 この教団では独自に接心修行というものを取り入れておりました。精舎内でおこ なわれるもので、信者が大きな輪をつくり正座して祈ります。その輪の中に霊能 者がはいり、一人ひとりに霊言を降していくもので、信者は降さされた霊言をも とに日々の修行とするものです。 教団の草創の頃、教主の妻が寒行のとき、不動明王から霊能力を授かったという のが、教団霊能のはじまりで、多くの後継霊能者を輩出しておりました。また、 教主自身も高野山で修行した僧侶であり大僧正の位もあり、透視の能力があった と聞いております。 この接心修行は当然有料ですが、信者の一般接心修行のほかに要望によって段階 的に別けられており、件名に対しての鑑定まで行われております。 私も随分とこの業をうけました。はじめの頃は毎週日曜日に行きましたので月に 三度は接心を受けておりました。当然疑問など全く感じなかったのです。家族 総ぐるめでやっていた信心なので日々の生活のはりあいと道を歩んでいる楽しさ すら感じたものです。それから10年、15年が経ち信者の数もふくれあがり、 接心を受けるにも以前のように、申し込めばすぐに受けられるという状況ではな くなっていき毎月の教団に行く回数も徐々に減っていきました。 それが目覚め(自己を取り戻す)ていく過程へと繋がりました。 教団の教義は筋金入で非のうちどころはなく、これが仏教かと受け留めることば かりでしたが、或る書物を読んだのがきっかけで疑問が湧き起こったのです。 その書物というのは釈迦の時代の「原始仏教」について書かれたもので、現代に 伝えられている教えとは全く違うものでした。 当時の釈迦(仏陀)の教えには輪廻とか因縁とかあの世のことなど一切言及してな いのです。釈迦自身、弟子から質問を受けたとき「わからない」と答えたそうで す。そもそも仏典が成立したのは釈迦の死の後500年後だと言われております。 また仏教が中国にもたらされてより、戒律がつくられ「女は500戒律、男は2 50戒律」となりました。即ち人の倫理道徳の教えから戒律遵守の教えに変化し て、さらには日本に導入されてからは、神道と合体し特有の密教、神仏習合がは じまるのです。 霊を扱う問題としては、もともと古神道(近代の造語)には存在していた概念ですが、 仏教には無い要素なのです。 先祖供養などといってっも、もとは先祖を敬うという古神道の考え方です。 更に言うと仏教で言う十界「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上・・・・」と 在りますが、これも想念が生んだ創作世界です。 接心の霊言では「因縁、先祖霊、背後霊、水子の霊、自縛霊、お清め、お施餓鬼、 お布施、おたすけ、ご奉仕、お護摩」など使われる言葉は決まっておりました。 どれも不安と恐怖心をあおり金を出させる内容ばかりです。 私が接心に対して疑問を持つようになったのは、霊能者の誘導する言葉にありま した。(脱会後に知ったのですが、霊能者に成る為の“受け答え”の訓練があるそ うです。本当に霊媒なのか疑問が残ります) 霊能者の受け答えの特徴として、一つの形がありました。 「質問⇒(答える)⇒肯定⇒否定⇒理由」この繰り返しで行われていました。この「肯 定する」という部分が重要な“ミソ”なのです。この話法はネズミ講やキャッチ セールス、新興宗教などで効果的に使われているものなのです。 「最近からだの不調はないですか?」と聞かれれば当然「あります」と答えるの が普通です。人間生身のからだですから、歯が痛い、下痢をした、肩が凝る、足 をぶつけた、仕事でイライラするなど数え上げたらきりがありません。 すかさず霊能者は言います「ハイ、そう、そうですよ、それなのですよ」そして 「背後霊が示されていますよ、今気付けたことに感謝ですよ。後でお清めを申し 込むのですよ」と話しは結ばれていく。 接心で霊的なものが示されることは頻繁ですが、私個人としては体感的に影響を 受けた経験はまったくとして無かったのです。私は鈍感だからそのようなものは 体感として認識できないだけの事かと。 このようにして私は25年間もの間翻弄され続けてきたのです。オメデタイとい われれば確かにそうなのですが、これが恐るべき洗脳の世界なのです。 『この教団で得たものは何ひとつとして無く、失ったものは「世間の常識」「素直 な心」「友人」「考える力」「金」「多大な時間」です。 そして教訓として学んだことは「仏教を拠りどころとしてはならない」「新興宗教 には近づくな」「霊能という言葉に注意しろ」の、おおまかに此の三つです。 この教団の元教主は生前の口癖として『貧乏人は創価学会、中流は立正校成会、 金持ちは当○○○』だと聞いています。また相続問題の渦中で三女(現、代表) が自殺未遂まで起してるのですが、現信者の中にこのような事を知っているもの はおそらくいないでしょう。 こまで書いてきましたが、特殊なケースではありません。新興宗教なら共通する 部分が沢山あるはずです。 儒教などの占い系の場合は教団の規模が比較的小さく、高額商品販売が目的であ ることが多くネズミ講法式がつかわれ、副業として十分なりうるもので、被害の 内容も単純明快のためよく摘発されニュースになることが多いようです。 【神道の出会いとすばらしさ】 私が新興宗教にハマッテしまった事は前項のとうりです。 期間は15歳から40歳手前くらい迄、約25年間です。この間一切他の宗教に は接しておりませんでしたが、唯一の趣味が登山と写真でした。 重いリュックを背負って山から山へと縦走する登山ですが。 先ず、初日現地の村に入ると必ず目にするのは神社でした。村の威厳を象徴する かのように杜の中に鎮まり裾を広げる急な石段は心あるものは来たれといわんば かりに長く、また大きな鳥居と両脇に座す狛犬は今の自分(当時の自分)は通っ てはいけないと感じたものでした。 いま思うと、逆に、おそらく神さまは「今のおまえに資格ナシ」とみられたので しょう。 当時所属する宗教団体では、冗談にも神社や神さまのことなど口にしようものな ら「心が真に帰依してないから、つい口から漏れるのだ」と集中攻撃を浴びるあ りさまでした。 しかし神社や神さまについて全く興味がなかった訳でもないのです。登山に行く 度に、登山道脇の道祖神や祠が気になり山の頂上にはやはり神さまが祭られてい て、つい足を止めてしまい何か儀礼でも必要なのだろうかと横目で見たものでし たが、何かうしろ髪を引かれるような気が帰宅しても残っていました。 新興宗教を脱会してからというもの新規一転、人生やり直しと思い、頻繁に登山 に行くようになり、村々の神社の鳥居も抵抗なく潜れるまでになり、登山行程表 には何処そこの神社の境内で「休憩0.5h」などと予定を組める迄になってい ました。もう楽しみの一つになっていたのです。しかし参拝の仕方や神さまにつ いての知識などは皆無に等しかったのです。 あるとき、神奈川県内の由緒ある某神社で大祭が行われるという事を知り、興味 津々にカメラを持って神社に向かいました。 これこそが本当の意味での『神道』との出会いになりました。 この時点で私の年齢は45歳でした。新興宗教を離れて5年です。 その神社は山中に鎮座し、ご祭神は山神さまで古くから信仰をあつめ東西からの 参拝者が絶えない由緒ある神社でかつては将軍家の庇護のもと、格別な存在であ ったそうです。 厳かにすすめられる式典は平安時代さながら荘厳と美しさに圧倒され、目から鱗 が落ちるおもいで一般参列のなかに加わり、祝詞奏上のなかで深々と頭を下げる 自分がいました。はじめて神を敬った瞬間なのです。 それ以来、神社で買い求めたお守り(山神さま)は身から離した事がありません し、何処の神社へ参拝しても「神々への感謝の気持ち」が自ずと湧きでました。 さて、話しは飛びますが。 わが家の神棚について書きましょう。不思議もいっぱいです。 わが家にも神棚くらいは必要だろうと思い、早速近くのホームセンターに行きあ れやこれやと見て値段も手ごろな3千円ほどの一宮造りのものを選び、同時に小 さな神具セットも揃えました。 うきうきとそれは心踊るおもいで一階9畳間に設置いたす事にしました。 我が家は神さまをお祭りするのに申し分のない家相であったためすぐに場所がき まり、神具も配置してあとは神さまをお迎えするだけとなりました。 神さまは先に述べた神社より山神さま『大山祇大神さま』をお祭りし、翌年元旦 には同神社より『天照皇大神さま』のお神札も合わせて戴きお祭り致しました。 仕事は順調、人間関係も良好、からだはいたって健康。しかし、この頃からとて も不思議なことが起こるようになりました。(良い意味で) 厄神祓いとでも言うのでしょうか、数多くの危険を回避することができました。 また、普通人間がけっして見ることが出来ない自然現象(霊ではなく)に遭遇す る体験もときどきありました。 もう錯覚や偶然の世界ではないのです。神さまは歴然と存在されるのです。 私は思いました。かつて新興宗教をやっていた時、皆口々に「御仏は経典の中に 生きておられる」と。天台宗や真言宗など既成仏教でも同じことを言ってます。 私の結論として『不思議の起こらない宗教など生きた教えとは言えない。』 仏教なるものは偶像崇拝そのものであり、また仏像などと云う物は美術品にほか ならないと言う事です。 仏教における得意芸の「護摩法要」や「施餓鬼法要」などは不動明王の威神力と 経文の力で為すと言っているが、創作仏典と偶像にそんな力があろうはずが無い ではないか。 浄財を納めれば「死んだのちに徳積としてあの世に残る」と。それ、見て来た話 しとでも言うのだろうか? なんの根拠と権限と力があって「衆生救済」などと言えるのか? おまけに、人間には「上品・中品・下品」の三段階があり、下品は「焼けた種の 如くで芽が出ない」と、人を蔑む。 日本の神さまはいかなる人にも平等に道を開いてくださっているのに、いったい なんと言う「イイグサ」か。 我々人間は凡夫です。ご利益を神仏にもとめることもありましょう。しかし、純 粋な思いで感謝の誠を捧げる時もあり、努力しても至らぬ己に嘆くこともあり、 また、先祖を敬う心もあるし、人の幸せを願い調和を保とうとする心もあります。 しかし、人間はどこまでいっても至らない存在なのです。 だから信心をするのです。信心をしても成るようにしかならないと言うのでは意 味がないではないか。 仏教などは「あきらめの境地」を「解脱」と言い替えているだけです。「悟り」す なわち「人生放棄」です。「修行」もその一貫です。これらからして「精進料理」 などと言うものは確かに理に叶っています。あれでは「性欲」すら湧かなくなる でしょう。大目にみても健全とは言い難い。 『去勢宗教』と言い改めたほうがふさわしい。 誰れが決めたかしらないが、「女は500戒律、男は250戒律」その中には食事 の時の箸の上げ下げまで記されてある。女性差別もはなはだしい。 特に「六道輪廻」などと言うものは創造の産物であり、神道のように霊言で明ら かにされていません。 釈尊曰く『わたしの知らない事ばかりだ。仏教って誰れが説いた教えなんだ?』。 クサバの蔭で嘆いておられることでしょう。 神棚の話しに戻ります。 先に述べたように小さな神棚をお祭りいたしておりました。 天照さまをお迎えした年の春、何故かいまある神棚がせまくるしく思えてなりま せんでした。お神札は別々の扉の中にお祀りするのが正しいのではないかと思い、 三宮造りのものを想定して数日間考えて居りました。 またホームセンターに足を運び探したのですが、いまひとつシックリこない。 インターネットでも探しましたが、希望に近いものになりますと20万円を超え る価格となりました。それでも形状やつくりに納得できず、それでは自分で作ろ うという考えに至りました。 それも、屋根が半分しかないような神棚ではなく、神社の縮小版ともいうべき、 まさに『ご神殿』の建設でした。高さ1メートルの高床式三宮殿です。 早速図面をひき一階居間に作業場を確保しました。 必要と思われる工具はすべて買い揃え、檜材も各サイズ作業に合わせて買ってい きました。時間はかけても良いものを作ろうと、その一念でした。 一番気をつけたことは怪我をしないことです。血の一滴でもお宮に付けてしまっ たら始めから作り直しになるからです。 作業始めてから二週間くらい経ってのことです。 朝二階の寝床でうとうととしている時の事です。私以外誰もいないのに、側に人 がいるかの如く声がするのです。 『まだかな、何してるんだろう』『まだかしら、どうしたのかしら』と、若い男女 の話し声なのです。 一瞬驚きましたが、『神さま』の作業催促である事をすぐに理解できました。 作業はどんどんと順調に進み、細かい部分の加工も神の手を得たかのようにおも いのままでした。 それから三カ月して完成が見えはじめたころ、日中でしたが、お宮から二歩ほど 離れて眺めながら、われながらの出来に「これだ、これなんだよ、素晴しい」と 思わず感嘆の声をあげました。 その時です。すぐとなりに人がいるかの如く、はっきりと言葉を聞き取りました。 それは若い女性の声で、褒めてくだされたのです。 わたしは直感的にこの女性が『天照大御神さま』であることを疑いませんでした。 その『御声』は胸の中に新鮮に残っております。わたしの『宝』なのです。 こんな事を言ったら、「おまえは嘘つきか?」と言われかねませんが、これは真実 なのです。 このようにして三宮殿は完成いたしました。 翌年同じく春ごろ、國津神さまの御神殿『大國主さま』をお祀りしようと、前回 のように着工いたしました。 形状としましては、出雲大社のご本殿を参考に同じく二回り小さい高床式です。 この時も完成間近に不思議がありました。 となりの台所で夕食の支度をしている時のことです。 制作中の御神殿の真上で大きな声がするのです。となり近所にも聞こえるほどの 男性の声です。『雄叫びのような感嘆の声』です。 この時も直感で『大國主命さま』であることに疑いはありませんでした。 この時点ではまだ出雲大社のお神札は入手できていなかったのですが、神さまは すべて『お見通し』だったのです。 二年の間に『天津宮・國津宮』と完成し、この間に合わせて小さいながらも摂社 として『天の鈿之命さま』の御神殿も制作いたしました。 巾2メートルの高座にぴったしと全てがご鎮座いただけました。 不思議体験は毎日です。 私自身、霊が見えるなどという特殊能力は無いのですが、暗示的に『ご神示』が 解るようになりました。 毎晩、御神殿の前に座してお勤めをするのですが、三ヵ所に置かれた篝火の炎の 状態が毎日違うのです。まるで命を宿してるかのようなのです。 自分の気持ちが落ち込んでいるときや、うれしいときなど、炎に反映されます。 また毎晩観る夢もそうです。『ご神示』の場合は通常の夢とは明らかに違い、内容 が明確で神さまからのメッセージである事が判断できます。 経験からですが、榊とお供え物はささやかでも大切です。祝詞も大切ですが、神 さまの御名をつねに胸に置くことです。(真心が一番大切なのです) これら不思議体験は、神道を歩んでいるものなら誰しもが経験できるかどうかは、 はっきり言って判りません。あくまでも私個人の体験です。 しかし、これを読んだ皆さんへ一言。 『こころ有るもの神を感ず』なのです。 現にそのような話し(感応)はちょくちょく耳にするからです。 『さあ、神さまを敬いお祀り致しましょう。』 平成23年8月31日 乱雑な文面ですが一応ここで終わります。